「俺ちょっとやっぱドラマーになってみたいです」

―そんな感じで専門学校で2年間を過ごして。その先の進路はどうしたんですか?

ここで、僕の中の音楽生活が一回終了するんです。就職しました。
あまり元々多趣味な方じゃないので、ちっちゃいときから、サッカーにハマって、ドラムにハマって、この後に、専門学校の卒業前ぐらいから車にハマったんですよ。そしたら車にのめり込んで、カー用品の会社に就職しました。
僕、親が公務員で、自分自身ちょっと固い考えのところもあるんで、就職したらすぐやめちゃうっていうのは良くないっていう考えがあって、絶対3年はやるみたいな感じで、やり続けました。だから3年ぐらいは音楽生活がちょっとストップするんです。

―仕事以外の時間に、たとえば自宅とかでも叩いたりはしなかったんですか?

本当にもう車にのめり込んで。もっぱら峠とかを走ってましたね。

―それでまた、自分がドラムを叩くぞっていう衝動っていうのは何かきっかけがあったんですか?

多分それも友達が「今何もやってないんだったらやろうよ」って言って。動き出してからはスタジオの人とかかっこいいバンドとか対バンして見に行くようになって。やっぱりやるんだったらかっこいいのやりたいと思って。その後に札幌でちょっと年上の人たちとバンドを組んだんですよ。そのバンドが北海道のウエス(WESS)っていうレーベルのオーディションかなんかに受かって。ライジングサンロックフェスティバルってあるじゃないですか。その前身で、ライジングになる前のフェスっていうのがずっとあったんですよ。「ロックサーキット」だったりとか。そこのオープニングに抜擢されて。それで3ピースのトリオのミクスチャーバンドでウエスのレーベルに所属することになったんですよ。レコーディングもやらせてもらったり。

―ウエスってあのイベンターのウエスですよね。レーベルがあったんですね。

今もあるかは分からないですけど、当時はたしかダブルスレーベルっていうのがあって。そこでレコーディングとかツアーとか、ジーンズ会社のCMとか、色々と、北海道で活動するバンドを応援するみたいなのがあって。そしたら、色々動いてくれて、当時のビクターのTHE MAD CAPSULE MARKETSなんかをやってるプロデューサーが見に来るってなって。人生の中で初めてメジャーっていうのを感じたんですよ。もしかしたらミュージシャンになれるのかなっていうのが初めてあって。で、結果は駄目だったんですけど、北海道ではワンマンで300人ぐらい集められるようになって。 

―そのバンドはなんていうバンドなんですか?

UPPER SOUL BREAKっていうバンドを当時やってまして。それで、北海道でこういう風にプチ人気が出るようになっても、音楽シーンていうのは東京にあるんだって思って。東京で駄目だって言ったらもう駄目なんだって思うと、北海道での活動っていうのはワンクッション置いてるわけじゃないですか。これがもどかしいってなって、働いてたのも辞めて、3人で東京に行く準備をし始めるんですよ。だから23か24歳のときには東京に出てきたんですよね。で、地道な活動をして、レーベルに所属することもあったのかな。当時はあやしいのか分かんないですけど(笑) そこで一枚リリースすることになったり。

で、なんとなく“3年間で目標をやっていく”っていうビジョンが僕の中ではあったんです。例えば就職は3年頑張りました。だから、バンドでやるってなったらバンドでなんとか3年以内に成功したいと。で、成功したら英語(詞)でやってたのもあって、次は海外に行きたいと思ってたんですよ。だから、東京に出てきて3年やった中で、「俺もう海外行きたい」って言ったんですけど、なんかメンバーが渋って。もうちょっと活動しようよみたいな。(海外っていう)目標があったんですけど、なんか渋ったんで、辞めちゃいましたね。実はこのときにはもうSIAM SHADEのローディーが始まってるんですけど。

SIAM SHADEのローディーは『Dreams』っていうシングルが出た後からだから、1998年ですか。その年にローディーとして迎え入れてもらったんです。

―その辺りをちょっと詳しく聞かせてください。

北海道から出て来て、仕事を見つけなきゃいけないんですけど、音楽の近くにいないとチャンスが来ないかも知れないと思って、ディスクガレージの傘下にあるライブの警備とか設営をするところでアルバイトをはじめたんですよ。警備やってるときには例えば、当時ミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)とかもあったんですけど、ミッシェルの前で、前柵でダイバーを降ろしたりとか。そういうのをやってた中で、ホールに行くチームがあったんですよ。戸田の文化会館で吉川晃司さんがツアー前に一週間ゲネプロをやるっていう。

そこに行って、楽器ができる人っていう部門で3~4人まとまってたんです。でも楽器チームは一度設置したら何かあるまでは待機なので基本的には待機が多いんです。ローディーの方々が割と近くにいたんですけど、「君たち楽器やってるの?」って暇つぶしで気さくに話してくれて。それはモビーディック(編注:楽器テクニシャンが多数所属する楽器レンタル/楽器テック会社。株式会社モビーディック)の武田さんだったんですけど(笑)

各々「ギターやってます」とか「ベースやってます」とか言って「へ~」みたいな感じだった中、7日間毎日いるから「君さ、夏休みにいいアルバイトあるから、連絡するから」ってよく分かんないし、めちゃくちゃあやしいなと思いながらも連絡先を交換して(笑) でも「お願いします」って言ってたら、忘れた頃に本当に電話が掛かってきたんですよ。

「覚えてる?」とか言って。「あ、覚えてます」って言ったら、「何月何日に、世田谷のバーニッシュストーンていうスタジオがあるからそこに来てよ」って。すげーあやしい(笑) でも行くしかないじゃないですか。で、当日スタジオの前で入る場所わかんないなーと思ってたら、なんか金髪のロン毛で虎柄?ヒョウ柄?のパンツとか穿いて、赤いギラギラのシャツ着た人がウロウロしてるんですよ。やべー、ここなんかおっかないと思って(笑)

後で気づいたら明石(昌夫)さんだったんですよね。SIAMのプロデューサーをやっていたので。で、スタジオの入り口が分かって武田さんと合流して、地下のスタジオに降りていったら、メンバーが2人いて。淳士さんとKAZUMAさんだったんです。そしたら、武田さんから「はい、君今日からSIAM SHADEのローディー」って言われて。そっから淳士さん専属のローディーになったんですけど、無茶な入り方ですよ。普通そんなんで入っていけないですし。周りも全然分からない状態で行ったからめちゃくちゃ怒られて。淳士さんとかに怒られるって言うより、周りのスタッフが「おい素人が入ってきたぞ」みたいな(笑)

―そこに呼ばれたっていうのは、さっきの話にあったホールでの仕事のときにドラムの組み立てとかチューニングしてるのを誰かが見てたからなんですかね?できるやつだということで。

そういうのじゃないと思いますけど。ただドラムをやってるからみたいな(笑)

―ドラムが叩けるっていうのを見てもいない?

はい。「やってます」って言うだけで。

確か一番最初の現場が有明の野外であったんですけど、ライブに付くのはそれが初めてで。いきなり1曲目から特効があって、ボーン!て出た瞬間に頭が真っ白になっちゃって(笑) スナッピーの組付けとかが甘くて淳士さんのドラムソロの途中にガガっと落ちちゃったんですよ。そしたら、何回張っても切れるんです。そのミスをして「もうあいつ使えないからクビにした方がいいですよ」とか周りから言われたんですけど、淳士さんは優しいんで「あのハプニングのおかげで音が変わって、ジャズな感じで良かったよ」みたいなフォローを入れてくださって。

そっから、俺ミュージシャンになりたいからこういう風にくっついてたけど、ローディーとしての心意気がわかってなかったなと。まずアーティストを100%支えてこそのこういう裏方だって思って。そこから凄い勉強して、めちゃくちゃ怒られた人とかにもこれを教えてくれこれを教えてくれって食いついていったんですよ。
そしたら、そういうガッツのあるやつを育てるっていうか面倒見るっていう男っぽい現場だったんで、そこから頑張ってたら認められて。結構すげぇ頑張ったんで。

―SIAM SHADEのローディーをやりつつ他に何か仕事もしてたんですか?

リハとかも含めて1年間の半分ぐらいはSIAM SHADEに帯同して一緒に回ってたんで。その他には、空いてるときはライブハウスの警備もやってたし、そういう感じでなんか、変な感じで音楽を近くに感じることができたんですよね。

―まだ大喜多さん自身は叩かないですね?(笑)

叩かないですね(笑) でもその合間、(SIAM SHADEが)ツアーをやってない合間とかに自分の活動をちょこちょこやってはいたんですよ。解散前までだから3年半か4年ぐらいSIAM SHADEにくっついてて。やっぱり淳士さんを見たりしてると、本当にプロになりたいなっていう気持ちになったんですよね。でも、とてもいろんなことを教わった反面、3~4年やってると「お前ローディーになれよ」っていう話ももらって。ただ、当たり前なんですけど、自分でも音楽をやりながらローディーもやるっていうのは本当は駄目だと。だからそろそろどっちにするかを選んだ方がいいっていうのを周りの先輩とかに言われたり、あと、本当にありがたい話なんですけど「音楽やめるんだったらモビーディック来いよ」みたいな。そこで、「俺ちょっとやっぱドラマーになってみたいです」って。

やっぱり、後ろとは言え、たとえば横浜アリーナのドラムの後ろにいると、すごい声援とかが聞こえるわけですね。これは本当にすごいと。ここまで行けるかはわかんないですけど挑戦してみたいですって言って、離れることになったんですよね。そのときに、海外行きたいっていう目標もあったし、そういう風な海外に行くようなバンドに入りたいっていうのはちょっと狙ってたんですよ。そういうこともあって、ローディーの方は一回28歳ぐらいで。

ちょっと擦り減ってたんで音楽やめたいなって思って(笑)

Nothing’s Carved In Stone

SPECIAL ONE-MAN LIVE "BEGINNING 2026” feat.『echo』 2026.2.27開催!

日程:2026.2.27(金)
会場:豊洲PIT
OPEN 18:00 / START 19:00
・スタンディング:5,500円(税込)
※小学生以上チケット必要
・学割スタンディング:3,800円(税込)
※小学生・中学生・高校生・高等専門学校生・専門学生・大学生の方が対象のチケットとなります。

▼チケット一般発売中!
e+:https://eplus.jp/ncis/
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ローチケ:https://l-tike.com/ncis/

Nothing’s Carved In Stone "Fire Inside Us Tour” 開催!

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・学割スタンディング:3,800円(税込)
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▼プレイガイド最速先⾏受付中
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受付期間:2月4日(水)12:00〜2月16日(月)23:59

12th Album『Fire Inside Us』2026.3.4 Release!!

【初回限定盤】CD+Blu-ray
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