本当に出来た、こっちに来て良かった

―それはどういう経緯だったんですか?

土屋:大学に浪人して入って、更にその後に専門学校に行ってるから、専門1年目のときでもう22、23歳とかになってたんですけど、周りは18歳ぐらいの子たちばっかりなわけですよ。これはもう最初から気合入れていこうと思って。勿論、高校出てすぐくらいの子でも真面目な方はいるとは思うんですけど、こっちはもう最初から切羽詰まってる感があるというか。とにかく吸収してやろうっていうのと、先生たちとすごく仲良くなろうっていう気持ちもあって。それで、当時葛城哲哉さんに習ってて、結構色々質問したりとかしてたら、2年目のときにちょうどglobeの10周年ツアーがあって、先生が弾いてたんですけど、渡辺美里さんとかなんか色々ツアーが重なっちゃって、4公演抜けちゃったからやらないかみたいな話をそこでくれたんです。

―なるほど。

土屋:で、globeの話をもらったときに、僕はこっちに賭けてみようみたいな感じでさっき言ってたユニットは辞めますって言って。で、ユニットをやめて、専門学校2年目のときにglobeをはじめて。ようやくではあるんですけど、ライブ経験もそんなになくて、いきなりプロなんですよ(笑)。いきなりあんな大きな会場で、何千人の前で、しかも小室さんで(笑)。

globeのステージでのプロデビューは専門学校「MESER HAUS」のニュースにも掲載された(土屋氏提供)。

―globeは収録じゃなくてライブだったんですね。

土屋:ライブです。

―最初の会場がどこだったかって覚えてますか?

土屋:最初は宇都宮だったんですよね。宇都宮の文化会館とかそういうところでした(編注:globe 「decade -access best seasons 1995-2004-」 宇都宮公演は宇都宮市文化会館で行われた)。当時globeが10周年で、本当にバンドが付かない形態だったんです。globeのお三方とギタリスト一人っていう編成なんですよ。いつもはそこに師匠(葛城哲哉氏)がいたんですけど、いきなりそこに僕が入っちゃうという(笑)。4人しかステージにいないんですよ。だから、とんでもないプレッシャーで(笑)。

―でもその仕事を振ってもらえるってことは葛城さんからそれだけ信頼されていたってことなんですよね?

土屋:いやでも、当時は本当にテクニックとかじゃない部分があって。正直ちょっと、自分で言うのもあれですけど、一応見てくれみたいなのがほとんどで。最初は当て振りするかどうかみたいな話だったんですよ。でも、僕が先生のフレーズをすごいコピーして行ったら、なんかかわいそうだから音全部出しなよみたいなことになって、結局全部生になったっていう感じたったんです。でも、小室さんもすごい優しくしてくれて。裏で「めっちゃ緊張します」とか言ってたら「大丈夫大丈夫」って。

―その後もglobeのツアーを回ったんですか?

土屋:僕はでも4本公演だけですね。4本だけ回らせてもらって。でもその当時ツアーのDVDとは別にドキュメントのカメラがずっと回ってて、その中でもすごいイジってもらえて。だからドキュメントのDVDにはすごい出てます。

globeツアー参加当時の土屋氏。
ツアーパンフレットにはglobeメンバー3人からのサインとメッセージが。

―globeをやった後はどうなっていったんですか?

土屋:大学からちょっと啖呵を切ってるじゃないですけど、俺はこっちでやるっていうので来たから、専門の2年目でそんななってまずは一安心と言うか。本当に出来た、こっちに来て良かったんだって、そこで少し報われたとか思ったんですけど。次の年もglobeでイベントのときに一回弾かせてもらったんですよね。でも、もう専門も出ちゃってるんで、所謂フリーターみたいな状態になっちゃって。それこそglobeの次の日も僕バイトでレジ打ってましたから(笑)。昨日あんなに歓声受けてたのに、あれ?みたいな(笑)。「いらっしゃいませ」って言ってるな俺、みたいな(笑)。なんだこのギャップは、こんなことあるんだな、みたいな。でも、そっからが結構長いんですよね。

―そうなんですか。

土屋:globeでやったのが24、25歳ぐらいで。だからと言ってそれが続くわけでもなくて。なんか夢みたいな世界があったけど、全然それ以外無いなみたいな感じになってきちゃって。俺なんかただのフリーターみたいになってないかみたいな。

―焦りが出てくるわけですね。

土屋:めっちゃ焦りました。25、26歳の2年間くらいはほとんどなんもしてないですね。バイトだけちょっとしたりとか。友達も、大学卒業した直後に会ったときはまだ話が合うんですけど、みんなが社会人の話になっちゃうから全然話が合わなくなってきて。で、やっぱりだんだん会わなくなるんですよね。友達と会うことも少なくなってきて。毎日悪夢見てましたね。なんか大学を入り直す夢とか、すっごい、なんかもうそういうのばっかりでその2年間ぐらいは本当ひどかったですね(苦笑)。

―そこからまた動き出すのには何かきっかけがあったんですか?

土屋:それで、当時カワイ音楽教室でやっぱり先生をやろうと思ったんです。もしそれで食べていけるんだったらそれも幸せだなと思って。その当時もちょこちょこ短いバンドは組んでたんですけど、全部そんなに本気で長く続くようなものではなかったんですよ。それで、教室の先生の面接を受けて。で、やることになって、生徒さんは教室が集めてくれるんで、結構増えてきて。そんな中、やりはじめてすぐぐらいに、ある生徒さんのお母さんも習いはじめたんです。そしたら、その人が「先生はここで弾いてる人じゃない。もっと世に出てください」みたいなことを言ってくれて。勿論、カワイ音楽教室がどうのこうのって話じゃないですよ。で、その言ってくれたタイミングでテレビ東京でASAYANの後継だった『イツザイ』っていうオーディション番組がスタートしたんです。沢村一樹さんとマリエさんとよゐこの濱口さんがMCやってた、深夜番組だったんですけど。

―そこでオーディションを受けたんですね。

土屋:それが、「イケメンバンドを作ろう」っていう感じだったんですよ。だから、最初はそのタイトルからもう正直、無理だと、嫌だと。こっちは自分の中ですごく真面目にやってきて、globeも出させてもらってきたのに、企画モノっぽいイメージが強くて。それに、この企画に応募してる時点で「こいつ調子こいてるな」って思われるだろうなっていうのもあったし。そういう、本当にこれに出ていいのかなっていう葛藤もあったんですけど、そのときでもう27歳ぐらいになってたんで、もう音楽を辞めるか、最後にこのオーディションに賭けてみるかっていう感じもあって。そこで今までを振り返ったときに、結構受け身だったなって思ったんですよ。従姉妹が紹介してくれたからユニットをやってたりとか、globeもまぁ先生が紹介してくれたからっていうのもあって。全然自分で動いたこと無いなって思ったんです。だから、これで最後に自分から動いて決めてみようと思って。で、結局それはオーディションで半年ぐらいやってたんですかね。本当にバラエティ番組だったんで、結構晒し者みたいな感じですよ。風呂場は映されるし、朝起こされていきなりマラソン走らされたりとか(苦笑)。もうすごいいろんなことやらされて。

―半年間も放送してたんですか?

土屋:半年間ぐらいやってました。長かったですよ。街歩いてても言われてましたし。でも、勿論ガチのオーディションだから何も分からないんですよ。全部が本当にリアルなやつで、出来レースでもなんでもなくて。最後に当時ポルノグラフィティのプロデューサーだった本間昭光さんがプロデュースしてデビューするバンドを作るってなってたんで。なんとかここまで来たらって思って。で、最後選んでもらって、デビューしようってなったんですよ。だから、これで音楽は続ける方向になったんです。

バンドでのデビュー、そして新たな道へ。「自分はもっといけるんじゃないかなって思いたかった」 


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Ryoga Snare Weight DRUMSHOW
Dean Martin Ukulele Cannonball
Hofner Orange Valve Tester MkII Heritage
Orange Glenn Hughes MONO