ここで離れちゃいけない気がして。すごい勇気出して

―栄喜(ex:SIAM SHADE)さんとはどこで出会ったんですか?

土屋:僕がバンドを辞める直前ぐらいにeversetさんとかと対バンしたことがあって。で、eversetさんのライブを見に行ったんですよ。O-EASTでやったときですかね。で、見に行ったときに、そこに来てた友達から紹介してもらったのが333 musicの増渕さんだったんです。はじめまして、ギターやってます、みたいな話をして。当時僕、もうバンドは辞めるつもりだし、いろんな人に会うために自分で名刺を作ってたんですよ。バンドやってて名刺持ってる子どうなの?みたいに最初は言われてたんですけど(笑)。それで、ちょっと辞めようと思ってるんですよね、みたいな話をしている中で、ちょうど『Thank You For All』って冊子の2回目を作るから、それに載らない?ってはじめましての時に言ってもらったんです。「いいんですか僕で?そんなガッツリ活動もしてないですよ」って言ったんですけど、その本に載せてもらったんですよ。

―表紙ですか?

土屋:何人かいるやつで、増渕さんはそっちの方が多いんで、ヴィジュアル系の方とかが載ってる中に、こういった僕がどうやって音楽やって来てって経緯の話と写真を撮ってもらったのを載せてもらって。その本が出たんですよ。で、その打ち上げのパーティーみたいなのをやると。僕が載せてもらったのがVol.2だったんですけど、そのVol.1に栄喜さんが出てて、Vol.1とVol.2合同でやるって言ってて。

『Thank You For All』Vol.2 書影 333music刊(土屋氏提供)

―Vol.1は栄喜さんと誰だったんですか?

土屋:誰だろう?結構何人も出てたと思うんですけど(編注:『Thank You For All』Vol.1掲載アーティストは栄喜のほか、人時、tatsuo(everset)、aki、ミネムラ(花少年バディーズ)、KAZUSHI(STRAYPIGVANGUARD)。土屋が掲載されたVol.2にはTAKA(defspiral)、龍兎(少女-ロリヰタ-23区)、貘(花少年バディーズ)、緋村 剛(everset)、HIROKIが掲載された)。それで、その打ち上げが居酒屋みたいなのでやるって話で。僕がその会場に時間に行ったら一番最初に着いちゃって。そしたらもう栄喜さんと増渕さんがラジオ収録みたいなのをそこでちょっとやってたんですよ。僕も凄い好きで聴いてたから、栄喜さんを見て、「うわ、本物いる!」とか思って(笑)。そしたら、いきなりガッって眼力でこられて(笑)。初めてなのに「あ、土屋くん?」みたいに言ってもらって。ドキドキするなーと思いながらも、だんだんみんなそこに出てる人たちが集まってきて。はじめましてで「ギターやってます」みたいな話をして。僕はもうそのときは自分でどんどんサポートだったりもやっていこうみたいな気持ちもあったんですよ。で、栄喜さんが先に帰るからって言って、枝豆があったのをガツって掴んで(笑)、そのままタクシー乗ろうとして(笑)。すげー面白い人だなぁと思ったんですけど、でもここで離れちゃいけない気がして。すごい勇気出して「すいません、栄喜さん、もしよかったら連絡先教えてくれませんか」って言ったら、あ、いいよってなって。それで番号を教えてもらって。そしたら、今ちょっとまたソロ復活しようとしてんだよねって言ってて。その時とかどう?って言ってくれて、そっからなんですよ。やりたいですって言って、そこから1年はなかったんですけど、その次の年から栄喜さんがツアーをスタートするときにギターが僕に変わって、そっからずっとやらせてもらってます。

栄喜ライブでの土屋氏。PHOTO by SOSHI SETANI

―栄喜さんとの出会いはその打ち上げのパーティーだったんですね。

土屋:そうです。当時はもうひとりのギターが7弦ギター、8弦ギターを弾く、SADSとかもやられてるK-A-Zさんで。ベースは黒夢の人時さんだったんで、もうなんかすごいとこ来たなみたいな(笑)。でも、もうめっちゃロックで、デビューしてたバンドがポップだったのもあって、これがやりたかったんだよなー!と思いました。元々ハードロックとか、それこそ最初はXが好きでやってたから、仕事でこんなヘヴィなの弾いていいの!?みたいな(笑)。こんな速弾きとかしていいんだ、みたいな仕事で。そこでだんだんライブ力を付けていったっていうか。ガッツリライブやったのって本当にデビューしてからぐらいで、それでも正直対バンなんで5曲とかしかやらないんですよ。それがいきなりKAT-TUNでは2時間ぐらいのステージやることになって、何十曲も覚えたことないなと思って。だから最初は覚えるのが下手くそで。要は細部までコピーしようとしちゃうからなんですけど、時間かかりまくっちゃうんです。だけどだんだんコツを掴んで、こうやってサポートの人っていうのはやっていくんだなっていうのが身についていったのがあの時期で。栄喜さんのは単純に難しかったですけど(笑)。そこで凄い鍛えられたんです。ロックギターってこういうことかっていうのが。あと、その2012年のときにソニーの人にも会ってて、実はもう1回再デビューしないかって話もあったんです。

栄喜ライブレポート

2019.12.14 sat. 渋谷 CLUB QUATTRO “『栄喜道 IV』REVENGE”
https://www.hipjpn.co.jp/archives/live_report/栄喜-6

2018.10.7 sun. TSUTAYA O-WEST “栄喜道Ⅲ”
https://www.hipjpn.co.jp/archives/live_report/栄喜-5

2017.08.19 sat at 東京 TSUTAYA O-WEST “栄喜道”
https://www.hipjpn.co.jp/archives/live_report/栄喜-2

―その再デビューの話っていうのはバンドでですか?

土屋:はい。バンドだったりユニットだったりみたいな。その2012年のときに、久しぶりに小室さんの右腕的なスタッフの方から連絡があって、今ソニーで作家をやってた人がギターとボーカルを探してるんだと。その時点では僕は辞めたばっかりだったからもうやりたくなかったんですけど。麻生十番にあった小室さんのあの綺麗なスタジオでその作家の子と会って。で、話したら曲もすごい良くて、これありかも知れないと思ってちょっと心動いたまま今度はソニーの人にも会わせてもらって。その3チームでボーカルをずっと探してたんですけど、結局見つからなかったんでおじゃんになっちゃったんですよ。だから、それも含めて2012年は半端なく動きが多かったですね。

―そこから藍井エイルさんとの出会いはどうだったんですか?

土屋:さっき言った、結局おじゃんになっちゃった話のソニーの方が、その後にエイルの担当になったんですよね。そこで、バンドはやれなかったけど、そういうサポートとかだったら一緒にやれるねって言って呼んでもらって。最初は海外公演があるからやらない?って声掛けてもらって、そっからずっとやってるっていう感じなんですよ。2012年にKAT-TUNがあって、2013年から栄喜さんが始まって、2014年からエイルが始まったんです。

―藍井エイルさんは、今年8月からツアーがスタートするんですよね?

土屋:そうですね。今のところ15本ですね。去年は配信しか出来なかったんで、今年は、この前はちょっとファンクラブツアーはやれて。僕もちょっとアコースティックセットだけやってっていうのはあったんですけど、フルバンドでようやく久しぶりにやれるっていうのがあります。

ギター遍歴と愛用のギター


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